昭和46年8月20日 夏季祈願祭における御理解 【入力者:岡村和一郎】 

MRAK[②④⑤⑦⑫]


 ●⑦ところが、私は有り難いと思うですね。ちょうど、うー、まるしょうの子供達が(沖の?)方へ行って、( ? )もんですから、( ? )なふうだったでしょうね。( ? )ずーっと(  ?  )しもうて、気がついたら沖に行っとるけども、さあどっこい、( ? )こっつぁんこう止めたけれども、戻って来られんもんじゃから、「助けて下さい、助けて下さい」ち言わないかん。
 それで、テントを持って行っとったから、あのテントの綱をじぇーんぶほどいてですね、浮き袋を持って綱をつないで、そして、その、助けに行った。

 ようやく、うちの子供達を2人、浜の方へ、えー、救いだしたところへ、助けて下さ(りよる?)。神様のご都合と思うね。さあ今から(   ?   )、もうおそらく3人ながら難しかったろうと思う。そういう危険。
 そら、こう青年会の人達が7、8人行った人達が、もう帰って来る時には、もうヘトヘトだったっと。こう引いてもらいよる綱が切れてね、もう綱はどこかへかに流れてしまって、もう浜に上がってた時にはもう、ここの青年会の人達も、もう死んだもんのごと(して帰って?)来た。というように、ひどいことであった。
 それに例えば、ご兄弟がそんなですからねぇ、もー、(日はテンと?)しておられますでしょ。ですから、その浮き袋一つ持たずに、綱いっちょ持たずに、そういう( ? )行っておられる。ね。

 (さあ?)向こうの方で、浮き袋、綱を握らせて、それから、青年会(行っとらん?)、女性の方やら、少年少女会の方達が、40名から(?)。それが一生懸命引いた。ね。ところがね、2人はね、まあ一時ばかりして、息を吹き返しなさったけれどもね。
 ところが、1人はどうしても、呼吸をね、あの人工呼吸なんかをいろいろ致しましたけれども、もうそれこそ信者さん全部で、ね、手をさする者、足をさする者、人工呼吸をする者、それから、まるしょうの連中は、はあ、あの波打ち際にずーっと何十人座ってね、「親先生助けて下さい、金光様助けて下さい」、2時間ご祈念したそうです。(笑い)私は驚いて、それを聞いてから。
 ちょうど( ? )の時に、もうそれこそ一生懸命で、ご祈念のけいこをしておった、そのご祈念がですね、だから( ? )町からそれを聞きつけて見に来た人は、ははあ、これは金光さんばいなと。これは教会長が溺れちゃるけんで、信者が一生懸命拝みよるとじゃろうちいって、それこそ、もう冷ややかにですね、(笑)ね、「金光さんでん、やっぱ同じことね」ち思うとるふうな顔をしてから、それこそ、(  ?  )あのー、軽蔑の眼差しで見てみとったち。子供達が一生懸命拝むのを見て。ね。

 ところがだんだんです、これが自分のところの方ではない、身も知らずの人だということが、だんだん2時間もご祈念しよるうちに分かってきた。ね。そしたら、今度はこの町の市長さんが見える、助役さんが見える。「もうほんとに、あなた方のおかげで助かりました」。2人だけは、一人がとうとうあいにく亡くなられた。
 それでもう、その親戚(10人?)の方達がですね、「あなた方がもし見えてなかったら、兄弟3人が諸共に、溺れておったのでございましょうけども助かりました」というて、たいーへん喜ばれた。
 明くる日はでかでかと、もう各新聞がそのことを報道しておりました。ね。私は、(  ?  )より、もう(たいちょう、たいまん?)、西日本、フクニチ、5つ見ました。大きく見出しをしてですね、久留米(区?)金光教会の信心グループがね、その助けたことを書いておられます。ね。

 さあ、それがですね、その後の町の評判になった。もうずいぶん田舎なところです、秋永文男先生ところの、おー、おー、近所に、その村から毎日野菜を売りに来る人がおる。「奥さん、昨日はもうたいへんなことでしたね。たまがりました」ち。
 3人溺れかかるとを2人助かったが、1人助けたいというて、ね、子供さん達がみーっんなあの浜で、一生懸命、「親先生、助けて下さい、金光様、助けて下さい」と言うて、もう大祓いを2時間もあげどんしゃった。
 さあ、もー、それこそ町中(  ?  )した。ほー金光様っちぁ、有り難い信心ですねっちゅう。「もう私はあげなことは、こう初めて見ました」と、この(出来事でする?)。いや、それは私の(とに?)、あーあの(  ?  )違いと合楽教会のまるしょうのうちの子供達でした。「はああ、そういうことでしたか」という。●

 これは総代さんも(  ?  )ですけれどもね、ね、ご長男の時は、これ、あの、ある大きな、あー、アパート住まいをしております。そこの隣がね、お医者さんの(縁か?)(    ?    )。っほいーで、もうほんに、金光様っちゃ有りがた、金光様っちゃ有り難か、これでほんで、その自分のいとこになる、また兄弟になるとが助かったっち。
 一人はもー、(  ?  )ようだけれども、そりゃーもう実意丁寧っちゃ言わしゃるばってんか、もうとにっかく、ありとあらゆるよう、そのことをしてもろうたけれども、(ちょうど助からん?)やったけれども、( ? )(親戚中?)で感謝しとるというてその、嫁御の(より子?)さんに話された。(より子?)さん、(合楽に行った?)けど知らん?
 そういうことですかっち。私ども金光様の信心し(もぎょって?)、そりゃーよかったですねというて、(今度?)( ? )に帰って来てから、お母さんからそのことを聞いて、はああ、そげなことでしたかと、言うてね、これは、いわば、宣伝をしようとして宣伝をしたわけではないけれども、これは、なるほど信心倍増だったなあと、私は思いました。

 ●②( ? )に「信心倍増」だと頂いたら、これがです、まあだどういうことに広がっていくか分からん。ね。お互いが、ね、一生懸命な信心になる。先ほど、若先生が申しておりましたね。(何か?)私は途中からしか分からなかったけれども、信心の匂いといったようなことを言ってました。●
 なるほど信心の、おー、匂いがプンプンするというよう、ことは、えー、まあ、よくはないと思いますけれども、私はよいと思います(笑)。信心の匂いぐらいせなんとダメ。ほのかに信心が薫っとるちゅうようなことなつまらん。それこそ、ちっとはプンプンするぐらいなきゃ。

 ●④私が福岡に修行中の時分に、福岡に(的場?)さんという方がいる。福岡の有名なご信者さん。ね。その方が私に、(※一瞬テープ切れる)(  ?  )た。私の( ? )前と同じ、信者さんのお家ですけども、やっぱり40名ぐらい集まって、一晩中お話をを聞いて下さるというような熱心の方です。いうなら、帰ると今度は的場さんと2人で、一生懸命信心話をする、2人でならご祈念をする。
 あるお話に参りました、えー、日でした。望さんが、「大坪さん、久しぶりでご心眼を頂きました」ちいわっしゃった。ほー、ご心眼っちどげなことでしゃか分からん。ところが、なかなかお徳を受けたおばあさんで、とにかく肺病患者が多いだけでどんどん助かったんです、その人のお家に。というように、(?)徳を受けておられた方。ね。●
 ●②(※的場さんのお知らせ)どういうお知らせを頂かれたかというとね、ちょうど心眼に、こういう大きなバケツがある。そのバケツん中にね、まあ夫婦があるんじゃろうと思われる、大きな神様、小さな神様、がさがさ回るって。
 そして、外に出たいというのでしょう、とにかく横になって、こーやって(するけど?)届かん。それをね、小さいほうの神が、この風来になってから、そして、横(じゃなく?)縦になって、その、んー、バケツのふちに手をかけた、足をかけたんですかね。
 そしてこれをもう、満身の力をこれにこう振り絞ってですね、とうとうその、小さい神を追いながら、(?)の外に出た、というお知らせである。
 私は、あのー、大坪さん、私は(  ?  )ほんと日本一の先生になりなさるごと一生懸命お願いしよりますと。(まさか?)先生の世話になろうとも思わなかった、その当時はまだ。ね。
 けれどもやはり、話を聞いて下さって、皆さんが喜んで下さったり、助かったりしよった。そういうふうには、そういうふうにお願いさして頂きよったら、こういうお知らせを頂いた。
 もうひと頑張りでしょう、ほんと力が出ましたね。ほんとにここんところに、ひとつ満身の力を入れなければ、(自由?)世界ということにはならん。それでもバケツん中でグルグルしとかんならんとこう。次には、(  ?  )。●

 というのは、(風呂?)。(風呂でわい?)鉄砲がですね。それであなたがね、一生懸命その、かけ口からね、あの、(ちかたに?)の古うなったつやら、タイヤんごたる、ゴムんごたるのと、(ルンルン?)(   ?   )。もう煙がこう( ? )。
 中に、中にね、入っておる人は、「あー、極楽、極楽」ちいってお風呂が入って(る?)けれども、その、ゴムやら、あっはぁ、そういうね、(匂いの立つ?)人はもう、たいへんな迷惑しよる。
 まあ、その(通り?)私が(神意?)がそうじゃなかったのかと思うです。(かなり?)自分だけが有り難いもんじゃけん、もう誰も彼も我武者羅な、いわば、あー、ことを言うたりしたり、まあしておった時代。ずいぶんそのことには、迷惑をかけたことにはたっくさんありましょう。ね。
 けれどもね、私がおかげを頂いて、その暁にです、ね、うん、それは、そん時には迷惑が困ったというておってもです、ね、まあ隠居の、おー、んー、えー、信徒会長になるのが、あー、あの、その(十分迷惑を被ってたん?)じゃなかっただろうかと思います。ね。
 けれどもその、やはり、信心臭というか、匂いがプンプンするような、ま、信心であったけれども、おかげでそのお風呂に入る人だけは極楽と言いよる。問題はその、その極楽というそのことが有り難いのである。信心というのはね、私は、信心というのはね、おかげを頂くということ。助かるということはね、いつも自分の心が極楽状態にあることだと思う。
 有り難いなあ、もったいないなあということの。ね。それ(で多くなる?)。そういう境地を目指すこと。ね。それが私は信心だと思う。

 今朝からの御理解に、えー、日本国中の神を信心するというけれども、ね、それはあまりもの信心じゃと。ね。家を建てるでも、ね、棟梁をもって、ね、棟梁が何人もおったら、相談、(物事?)に暮れてはかどらず。ね。一心と言うたら、草木でも一つじゃと。ね。この一心を立てると、ね、すぐにおかげが受けられると、御教え下さっております。
 私はいつも御教えを頂いて、はあ、金光様は少しいつもオーバーだなあなんていって、思うたことがない。ね。皆さんどうでしょうか。ね。
 私どもは母の胎内での信心であった。ですからもう、4代続いての金光様のご信心一点張り。ね。けれども、「すぐにおかげが受けられる」というよいうなおかげに触れなかった。ね。それはおかげといやーもう、奇跡的なおかげ、ね。
 ●④私ども何回も初代の、親先生がおいでる時に、何回もない命を助けて頂いた。第一、私のほうでは、次々と母が流産をする。ね。そこで、今度もだけは、取り留めんならんというので、親先生のお取次を頂いた。おかげで3人目に私を取り留めた。ね。

 おもしろいですね。もう3人目に取り留めたというて、まあうちの者が喜び合うた。それがどういうふうに間違うていったのかですね、椛目が3人児、3つ子ができたげなという噂が立った。
 当時の、えー、福日新聞の新聞記者がやって来た。ね。「あなたのところには、3人も一緒に生まれなさったそうで、おめでとうございます」ち。「なんですか」ち、ばばあが言うたそうです。「( ? )3人、3つ子が生まれたっていう話を聞きました」と。「そげなことなかですよ」。「まあ、そげん隠しなさらんでも(  ?  )」っちから、もう(      ?     )しもうてからね、「納戸で親子で寝とるち見て来んの!」っち言っちから思ったっちいう話(笑)。ね。

 3つ子のとり、3つ目に取り留めたちいう、3人目に。それで、3つ子ということになる。もう生まれる早々から、ほんとに、それこそ悪臭を放ったわけでしょうね。( ? )に従ってこれがだんだん、そういうことになってきた。●
 まあそりゃあ、ああ、私どもが、いわばおかげを受けたというおかげは、それはもうほんとに、そりゃもうびっくりするおかげばかりです。( ? )からおかげ話。そういうおかげは頂いたけれどもです、ね、( ? )。「一心を出すと、すぐにおかげが受けられる」というようなおかげを、には触れていなかった。ね。
 ほんなこっちゃじゃろうかと。( ? )今日から金光様一本にして、もう(何様?)も拝まんち。ね。だから、そういう人ならばです、金光様の信奉者にどれほどおるか分からんのです。うちはもう金光教に改式までしとるという人が、どのくらいおるか分からんのです。ね。
 けれども、ね、「すぐにおかげが受けられる」というおかげを受けておられん。どうしたことだろうか。(沈黙)

 私は今朝から、その御理解を皆さんに聞いて頂いて、ほんとに繰り返し繰り返し、同じことを言わせて頂くが、けれども、やっぱり金光様のご信心とはもう、ここに極まったものだなと、いよいよ、その思いを強うするのでございます。
 ●④(※体調不良)私は、ここ2、3日体が良くない、ずーっともう寝たり起きたり。御結界に出て来て、出て来ては、また( ? )すぐ裏に入って休む。もう気分がよくなりゃ、また出て来る。それで(?)きつうなると、また休むというように、昨日なんかがもう、朝から休んでおった。
 朝の奉仕が終わってから、すぐ休まして頂いた。ですから、昨日の、おー、前夜祭の奉仕さして頂いて、もうそのままお風呂へ入って休ましてもらった。まあだ、このお祭りの準備のために、夕べは約12時頃まで、皆さんかかっておられた。まだたくさん残って、御用奉仕をしておられた。ね。

 その上に、私はこうやってお水をたくさん飲みますでしょう。ですからね、もう、昨日から(一つ?)、涙ぐましい、それこそ修行を続けてる(笑)。
 もうなーにも飲むもせなきゃ、食べもしない。そすと、おかげでね、(汗?)はもろ出ますし、お水も頂かんでいいん。これはもう私はですね、(もういう30分?)ずつぐらい、(  ?  )、寝たのから。あん。お神酒をたくさん頂きますから。●
 そういう具合でございましたから、「もう後のことは、どうぞお願しときます」というて、私は休む。それから、12時ちょっと前に、えーまた起きてまいりまして、もう済んどるだろうと思うて、こちらに出てまいりましたら、もうあらかた片付いてしもうて、まあ何人からの人が、ここでご祈念をしておりました。

 私は出てまいりましてから、もうこの大祭を仕える前には、一月くらい前から一生懸命修行をして、いろいろ御用をさして頂いた。それだけ、ここ2、3日間というものは、何十人の人達が毎日出ては、ね、お掃除万端の上に、ね、お粗末、ご無礼のないように、一生懸命御用なさって、今日のお祭りである。ね。
 そういう間には、うん、やはり、例えば(かっけ?)なら(かっきん?)の上でも、ね、いわゆる(船頭?)さんが、あー何人もおったりする場合がある。特に、女の(なんか?)
 右がよいという人がある、左がよいという人がある。もうこの人ばっかりは、もういつもあげんいわっしゃるけん、まあ、んならそげんしとっても、心の中には、なんか心の中に(そげないor融けない?)ものがでけていっっておる、こりを積むわけです。ね。

 けれどもね、私は昨日、前夜祭を後の頂いたことから、またちょうど12時にちょうど出て来てくる、ご祈念をさして頂く時に、一ヵ月、いやまたは、ここ2、3日間というものは、このご大祭を頂くという皆さんが一生懸命に奉仕されました。いうならば、人事の限りを尽くされました。ね。
 どうぞ、あとは神様のお働きにお任せする以外にない。明日お迎えさして頂くご大祭。健康のことから、ね、参拝者の皆さんのことから、もうあとは神様にお任せするほかにはないのである。することだけはさして頂いた。もう、おー、奉仕をして下さる先生方が来てさえ下されば、いつからでもご大祭ができるように準備万端に整うた。そのことを、私はお礼を申さして頂いた。ね。
 いわゆる、人事の限りを尽くしました。ね。ですから、これからは神様にお任せします。いわゆる、ふつうで申します、ね、「人事を尽くして天命を待つ」、これはね、信心のない人達の言うことなんです。ね。
 その人事たるや、どういう人事を尽くしておるのか、ましてや信心においてをや、である。ね。真心いっぱい、一生懸命に、例えば奉仕をした、いわゆる人事の限りを尽くした。

 私は思うんです。うちのご信者さん方にもそれを感じます。いや、これは私、皆お道の信者、信奉者の方達の上に感じます。あの人は珍しか。もう何十年間朝参りを続いておられる。御用といやー、一生懸命、もうなさる。ね。 それこそ、金光様一心でおかげ頂いておられるのに、ひじょーに不幸せな人がある。おかげを受けてない人がある。
 「すぐにおかげを受けられる」とおっしゃる、すぐにおかげがない。あちらの先生はなかなか真面目。ね。しかも忠実。もう実意丁寧の権化のごとある。何十年の教歴を持った教会だけれども、人はあんまり助からん、というような教会もある。ね。
 ですから、人事を尽くしただけではね、ダメだということ。人事を尽くす焦点が間違ったらダメだということ。ね。私はそのことを先に神様にお礼を申させて頂いておりましたら、ね、いわゆる人事を尽くすだけは尽くして、用意万端滞りなく、まあ私どもの考えでは、お祭りの準備はでけた。ね。
 ですから、あとはどうぞ神様、あんたにお任せいたしますという(生き方は?)、いかにも素晴らしいごとあるけれども、神様はそれではいかんって感じする。ね。

 3日間なら3日間、ね、人間関係にいう様々なことだあっただろう、御用頂く上にでも。ね。けれども、それはどういうような場合であっても、どういうようなことであっても、ね、その時点時点に置いて、ね、例えば腹の立つようなことを言われた、その時点に置いて、その腹の立つことそのことをです、信心で受けられたということが、一日過ぎたら、ね。
 例えてまあ言うならば、私どもはそうやて、「もう今日は、腹が立って腹が立って煮え繰り返るごとあった、よじれるごとあった」。それでも、日頃頂いておる御教えを、「成り行きを大事に」と、「御事柄として大事に」と頂いておるから、そこを、ね、一生懸命合掌して受けさして頂くことに、精進をさせて頂いて、すぐとまではいかなかったけれども、一日をしめくくった時に、「おかげでもうあの時には、きついことがございましたけれども、おかげでそれを神ながらとして受けることができました」と。「それを御事柄として受けることができました」と。
 そこんところを、曲がりなりにも、ね、その成り行きそのものを大事にさせて頂いたことを、一日のしめくくりにお礼が申し上げれるような信心でなかなければならん。そういう信心に焦点が置かれて、ね、そこ、はああ、信心とは、(そげなとこ?)、そこに一心が立てられたら、もーすぐそこから、おかげが受けられる。
 いいですか、今日は、教祖様が嘘はおっしゃってはいないっ。「この一心を出すとすぐにおかげが受けられる」という話をしてるんですよ。ね。

 私はもう何十年金光様ばっかり拝みよるという(損?)じゃない。ね。ね、そのことから、その時点時点をです、ね、神様の御働きとして、それを頂くところに、そりゃ難しいけれども、そこをけいこさして頂く。そして信心はもうこれに極まったんだと。天地の親神様、有り難うございますと言うても、その天地の親神様の御働きそのものを、お粗末にするようなことであっては、腹立てて受けた、情けないで受けたではおかげにはならん。 なかなか、けれども、ここんところのけいこをする時が難しい。難しいけれども、それが分かってすぐにおかげになるというところが出てまいりますと、いわゆる、信心は難しいものじゃない、見やすいものだということになる。

 ●⑤今朝から信徒会長がご祈念の後にお届けをされました。もうそれこそ感動いっぱいでお届けをされました。それを(先生?)ご祈念中に、ちょうどこのご造営が始められる時分に、お月次祭の晩にこっから一家中で帰りよってから、今日、親子兄弟3人で自動車正面衝突をして、もうこれが助かっとるっちゃ不思議というようなおかげを頂いて、3人とも助かったが、( ? )自分のことを思わせて頂いたら、有り難うして有り難うとうして、ね、助かったころ、そのこと自体が有り難いのではなくて、神様の御働きそのものが有り難かったと。●

 ●⑤この十三日会の日に、伊万里の竹内先生の奥さんが、やはり十三日会だからっていうて、娘さんと2人で、娘さんの運転する自動車でやってきよった。伊万里の街を出かけたところで正面衝突。もうとにかく自動車が自動車こげんなって、離れちゃったよ。ね。 それでもすぐにお礼に出て参りましたら、ね、おかげで、まあちょっとしたかすり傷ぐらいで、横に乗っとったお母さんが、ガラスが割れてしもうて、破片が顔に飛んでその、病院に入院さして頂いた。
 今朝から( ? )があがってきた。今日のお祭りを伊万里、あちらから拝まして頂いておりますが、ほんとに、まあふつうでいうなら、じっと(いろんあ原因によってから、救い、薬代をつつりあげ取ろうちいうんやけども?)、とにかく早う帰らな帰らな。
 おかで帰らして頂いて、もうそして、相手のことを思うわけじゃない、(ノー?)じゃない、もうただただ、合楽の信心を頂いておったということが、もう有り難うして有り難うとうして、とうとう電話で途中で切れるぐらいに有り難う、嗚咽しながらお届けをされました。
 怪我したそのことが。ね。ほんなこて、もう金光様にお参りをさして頂きよって、しかも合楽の十三日会といや、神の願いが成就する日として、皆が大事にする。そういう尊い有り難いという日に、通わして頂きよってから、もう往き道にこういうことになってから、もうそれこそもう、親戚中の方達が、あんまり喜ばれるので、ね、親戚中の方達が感動されましたというて、今日電話で話しておられました。●

 金光様のご信心っちゃ有り難い。ね。今日ほんなら、信徒会長そのことを、自分のそういう災難に、いわば遭った時のことをいろいろと思わせて頂いて、後から考えてみてからね、ほんとに神様の手の込んだご演出というか、お働きにね、ただただ恐れ入って、畳が濡れんばかりに有り難かった。ね。
 そして、先月13日に事故に遭われたという竹内先生ところのことをお願いさして頂きよったら、ね、神様が、ね、こういう演出をなさる時のお心持ち。神様が、どうでもここで痛い思いをさせなければならん、悲しい思いもさせなければならないという、神様の御身になって考えてみた。
 どのように神様がおありになったであろうかと。今日は言おうか、明日は言おうかと思いながら、言いためらっておるといったことがありましょう。神様もそうなんです。どうでもここに、(心残る?)だけは、どうでも、ね、受けてもらわなければ困る、神様の、が立場から申しましてですね。

 だから、そういうことが起こるまでの神様の働きを思うたら、もう有り難うして有り難うとうしてと、ね。私は申しました、「秋永先生、もう今日の御理解はそこんところに尽きるよ」と私は申しました。ね。
 死ぬか生きるかのような目に遭わして頂いて、そのことが有り難かった。ね。だから受けるというたら、もう受ける。もうその一心なんです。神様の御働きに一分一厘の間違いはない。ね。そういう受け方がです、だんだんでけるけいこをさせて頂くことが信心だ。生活のために信心があるのではない、信心のために生活のすべてがあるのだということ。ね。
 竹内先生の場合がそうだ(った?)。ね。ね。生活のために、おかげは頂かなければならんから、合楽に参っておるのじゃあないっち。合楽で教えて頂く真の信心を分からせて頂くということが、ね、それが有り難いのだ。
 だから、その、それは難儀なことであろうが、腹の立ってくることであろうが、それは痛い思いをすることであろうが、ね。それが、そのまま神様の御働きであるとして頂けれる。信心するととおかげがついとらん。ね。信心、ね。信心のために生活のすべてがあるということになってくる。
 信心しよりゃ、雨にも濡れんぞ、おー、風も当たらんでいいぞと、こりゃないです(笑)けれども、その雨やら風やらを、自分の信心のための根肥やしにする。ね。(  ?  )そこんところを、ほんっとに一つ分かって頂きたい。そしてもう、そうだと一つ思い込んで頂きたい。ね。

 ●⑦最近が、えー、夏休みになりましたから、その学院生が5人、今ここで10人修行しとる。今、一人、あちらの、おー、修行生の方を同道して来ておりますから、16人の修行生の方達がここで一生懸命信心のけいこをしております。
 そして、合楽に合楽にというて学院を終わってから、ここに泊まるだけで、皆、合楽に訪ねて来る修行生の方達、先生方がいくらでもあります。それがね、何を合楽に目指して来るかというとね、私が、ね、ね、成り行きを大事にするということ、ね、それを御事柄として頂くということ、そのこと自体が神様の働きとして頂くということ。ね。そのことをです、研究に来るのです、皆。ね。●

 ●⑦今朝も、四国の(あの?)先生が、あー、速達で手紙を寄こしてきております。( ? )2人やって参りました。ね。合楽の帰りの道々、やまなみハイウェイを通らして頂いたら、兄弟2人でもうほんとに新たな信心の眼が開けたと。これから俺達もおかげが受けられるぞと。これを四国に持って帰ったら、お父さんが喜ぶじゃろう、お母さんが喜ぶじゃろうと思うて帰らして頂いて、玄関を入り口、ただいま!ち言ったら、お帰りなさい!、もう今度はお土産ばいっっぱいカバンにつめてきたよっちいうて、なら子供がすぐ開いた。ね。
 そして、その頂いて帰ったお土産を、父にも母にも子供達にも話しておりますというて、(ね?)。それがどういうことかというと、いわゆるその、ね、そのことなんです。だから、このことに焦点が置い、置くということに一心と定まらなければいけない。●
 ちょっと皆さんも、ね、思うてみてごらんなさい。皆さんたくさん信心をする人達があります。(はあー?)落ち込んであります。珍しか(ごたる?)信心しなさる。ところが、おかげが受けられとらん。れぇ!
 教祖は、ね、「一心を出すとすぐにおかげが受けられる」とおっしゃるです。ね。それをだから、教祖は嘘じゃ、ね、オーバーなこと言うてござるような( ? )頂き方をしとるから、自分の一心とは、自分の一心とはと、自分の一心を検討もしない。そして、(?)参ることだけ、拝むことだけ、拝みよる。(笑)ね。ここのところに一心を立てなければならない。ね。

 ●④そういうことがね、神様のお心なのだから、それが。ね。私が、いわば修行中の時分に、ね、それこそ、夏も夏服、夏も夏服は当たり前ですけれどもね、夏冬、夏服一枚の時代があった。
 まあ、そこに病人さんがござると言や、そこにお話し行ってくれと言や、もうそれこそやらして頂く。ね。それこそ、ボロボロになった洋服を( ? )こう折り曲げて、もう靴もボロボロ(やき?)履かれんから下駄履きで、ね、熱いもなからなきゃ寒いもない、もうそれが有り難うしてこたんじゃった。
 ここで修行しておられた久保山先生が、「大坪さん、ほーんなこつ(?)有り難かつですか」ち言ってから、(私に尋ねなさいました?)。(笑)というように、(?)夏の時分に私が、美味しいものを頂いたり、よいものを着たりしておった時代じゃなかったけれどもです、私の心の中には、それこそ「すぐにおかげが受けられる」という心の、心の上に感じるところの、有り難いものが頂けておったということ。ね。

 (はあ?)、先生が入院だけ(  ?  )言うとったら、今日もう(   ?   )ようなおかげは、まず根から、まず心から。ね。それはね、そういうことになってごらんなさい。例えば、んなら秋永先生がね、事故に遭った時、あん時に、神様が、ああいう痛い重い怪我を、もう死ぬ生きるの思いをさせなさる時の神様のお心を思うたら、もうそれこそ、泣かなきゃおられんという。
 「信心しようとに、どうして」じゃなか。こういうことを、神様が起こさせて下さるというその働きが、有り難い。このたびの竹内先生とこの事故ことも、それを思いましたら、もう何が何やら分からんように、有り難うなったと。
 神様もずいぶんとお手の込んだご演出であるけれども、ね、痛い思いをさせてでも、損をさせてでも、腹を立つような思いをさせてでも、やはりおかげを下さろうとする神様の働き以外にはない。
 その神様の心を慮ったら、有り難うしてこたえんというのである。これおかげ頂いたから有り難いとじゃないんです。そういう災難には遭っても、なら今日、竹内先生の奥さんのお電話でもそうであった。ね。電話が、ただ私の声を聞いただけで、もうお届けがでけなかった。感激で。ね。

 だから、そう( ? )てね、そういうことに一心、その、例えば難儀な問題事項をですよ、ね、合掌して受けれたところに、もう痛、痛いもあろうけれども、苦しいもあろうけど、窮屈でもあろうけれども、神様がそれに、たいしょうのようにして、代償のようにして、心の中に有り難いというものを与えておられる。
 その有り難いがです、溜まりに溜まっておかげを頂いていく時に、ね、それがこの世で極楽とはこのことであろうかと思うように、おかげが受けられるのであります。ね。
 これは、しかも絶対のお話なのですから、絶対というような言葉を使っちゃならんということですけれども、金光様の信心だけは「絶対」が(使われる?)。教祖のみ教えをね、本気で分からして頂いて、成就させて頂いて、それを広く分かれば広く頂かれる、深く分かれば深くおかげが受けられる。ね。

 ●④私が20何年間ただ、教、あの、教典180何節だけに取り組んでる。毎ー日、ちょうど4000時間お話してきた。しかも、それが全部収録された。テープが流行るようになったから、今度はテープも全部撮るようになった。だーれもテープに撮ん(なさる?)人もなければ、ね、ね、書き写しなさいなんて言うたこともなかった。
 けれどもそれ20年間、もうそれを見て、この頃学院生はたまがった。この(人?)、か、貸してもらえんだろうかて。そりゃーもうでけん、ぜったいこりゃ、まあ勉強したいなら、ここに来てから勉強(してできるっち?)。ね。
 若先生が言いよります。ね。これはもう、先生、親先生が亡くなった後に、(もう十分勉強さしてもらうって?)。今、勉強してくれると、ほんといいですけれどもね(笑)。いや、ほんとです。●

 ●⑫昨日、例えばある修行生がここに来てから、お届けするんです。(かげしま?)のタバコをのもうと思いよりますが、どうでしょうかっちいうてから、この頃、あっちこっちからタバコを頂くっちいうわけです。そりゃあ、金光様の信心しよりゃ、あんた、タバコをのまれんって、金光様の先生になりゃね、タバコのまれんっていうことはないから、私もそれこそ、もーずいぶん吸うてきたことでもあるから、ね、それは一つ有り難く頂いて、おかげを頂いたがいいね。
 けれども一つ、これだけは守らんねって、私が申しました。ありゃなかなか気分のいいもんですよね、タバコっちいうのは、ね。私達だんでもベレー帽でも被って、こうステッキどん持ってから、こんなことしてから頂くなら、なかなか格好もいいしね、キザでもありますけれども、気持ち(ぶんがええ)。けれども、さあ、紋付き袴着けとる時に、(鼻?)でスパスパ、そりゃできません。(?)申しました。あんたが、紋付き袴を着けとる時だけは吸わんということにしなさい。ね。同時にもういっちょ、けっして、もらいタバコをしなさんなっち。もうこげん汚かもんはなかばいっち。
 私は、(タバコを吸うやつが?)いっちょおった。ケースだけ持っとる。(   ?   )タバコ一本くれっち。(   ?   )ケースの中にまだ2、3本もろうてから、もうあれがおる時は、タバコをのむなっち(いうごとおる?)(笑)。いやね、そりゃ誰でん、タバコっちいうものは、もうありゃ、そのー、忘れた時なんか、下さいだっていい、よいもの、ま、言えれるものだ。また、やることがエチケットである。けれども、そりゃ、あんーまり、度重なると、あんやつは(ずぶとか?)汚かやつじゃろうかっちゅうごんなってくる。ね。

 だからね、限りなく美しゅうならせて頂こう、(   ?   )だから、けしてもう、もらいタバコどんしなさんな。それはそっとね、もう自分がなかったら、人んごとばこうこうやって焦ってからのむごとなる。こんーなもん、こげんしてのむ。も、(あっつーつ?)かというとこまでのむが(笑)。
 だからね、あれはね、うちの若先生の真似をするとよかばい。してから、(やわいよよーすけ?)こんな、あのー、ん、タバコをのむ(仕草なんて?)、もう格好が悪い。(あれは、いやー格好もん、タバコっちゃ?)。して、やっぱおいしゅうない。それば、てんで、て、丁寧にこう2つに切ってからのみよる人がおる。うちの若先生ば見てんの、なかんかよかろうがっち。ね。ちょっとキザではあるけれども、シャレとる。缶ピースかなんかスパースパのみます。そしてもう、3分の1ぐらいのんだら、(はあーっと変えてある?)。
 私はこれはいいと思うね。タバコはのんだって別に、(あれがある?)どうっちいうことはないとじゃからね。あれを食べたから、飲んだから、肥えたとかね、えー、どうこうっちいうことはなかった。
 だから、むしろその方が有り難い。また、ほんとにタバコは半分くらいが一番おいしかけん。だから、きーーたないのみ方はしないということ。もろうてからまでのまんということ。紋付き袴を着けておる時だけは、のみなさんなよということ。

 そしてね、あんたもお道の教師を志すのだから、一つこういうことを思うてごらん。私どもの先輩先覚の、お徳を受けられたという先生方は、だーれんタバコのみなさったっちいう話聞いたことなかばい。
 久留米の初代もそうであった。ね、ちょうどこの頃は、もう(解禁?)になったけん、のまにゃ損っち、のみきらんもんでんのむごたる人があった。おかしな話よねえ。はぁ。そげなこっちゃいかん。ね。
 甘木の初代もタバコでんなさったこと聞いたこともない、(見た?)こともない。こつ、小倉の桂先生もやはりそう。久留米の、いや、福岡の三代吉木辰二郎先生は、お話の中におっしゃるように、お道の教師を志して、タバコどんのむようなことがあったん、のみよったんじゃあ、人は助からんと思うて、のもうとも思わなかったと、生涯、タバコを口にされなかったと。そういう話をした。
 はあ、そげな話(   ?   )いよいよのまれんごとなってきた。あれのまれんごとなる(病気?)(会場笑)。なかなか教導っちゃ難しかですよ。そげなこといかんって始めから(怒る?)とですね、金光様の先生は、そりゃタバコものまれんのっちいうちから腹かく。ね、だから、( ? )。●

 ●④けれども、(何かしたら?)やっぱり、いつかは、ね、ほんとに人が助からなければならんという時に、私はね、もうほんとに、あの50本の缶入りが足りなかったんです。北京時代。それから、あの、修行生がやめてしまって、まあ皆がどんどん助かるようになってから、もうとにかく「光」がどんどんどんどん集ってくる。
 それから、(    ?    )のみだした。(   ?   )。(  ?  )のんでもらう。次には、ピースがどんどん集ってくるようになってきた。次には、ピースの缶入りが集ってくる。もー、(  ?  )、いつでもこう重ねとるごとあった。どがんしこのんでものんでも。(はあ?)、神様っちゃ、もう無尽、無尽蔵じゃ。ね。

 ところがね、最後にはね、あの「富士」というタバコが集るようになった時に、私は思うたです。こりゃー(妙賀?)が尽きると思うた。もうそれっっきり止めました、私は。ね。●
 ●⑫ねっ。(?)おかげで、今、一時はきつかったけど、(ようは?)もうほんとに、まあ欲しいとも思いませんが、ね、いわゆる先覚の先生方のご信心を、まあ、そういうような意味でも、神習わせて頂こうと。
 信心のね、修行には、そういう、ね、ことをいたしますと、分かりやすくなって(きて?)、あんやつは金光様の信心しよるけん、タバコをのまんのっち。信心の匂いがすると、そげなことじゃないでしょうか。ね。
 けれどもね、そこんところを頂きぬかせて頂いた時にです、ね、信心はみやすいものでも、氏子から難しゅうすると仰せられるように、(眠った?)のが止めることはたいへん難しいことだけれども、それを止めてしまって、もういよいよ止めてしまって、ね、欲しくなくなってから、「一本どうですか」っち言うたっちゃ、それこそ、あのタバコの匂いが嫌なん。楽になった。信心はそこまでいかないとならん。●

 この頃から御結界で私、かゆかったけん、こうかきよった。そしたらね、あの、●②「痒かから掻くのは桜の花の信心ぞ」と頂いた。そら、かゆかでガシガシかくなら、気持ち悪いです。ね。(  ?  )かくなら、そらもう、極楽っちいうごと境地よ。まあ、かいて(もらったっっちゃそうです?)。ね。
 けれどもね、ははあ、ふんなら、梅の花の信心とは、かいい、けれども辛抱をする。じーっと辛抱をする。ね。そりゃもうこうこうするごとかゆか。けれども、辛抱をする。ね。そこからです、ね、かゆくなくなってくる。例えば、蚊が食うても、ノミが、あ、シラミがついてもですよ、支那人なんかはもうぜんーぜん、あのーシラミなんか(  ?  )よりますけれどもね、もうなんて言うんですか、免疫性になってしまってる。ね。それが(徳or得?)なんです。

 ね、辛抱しぬいた、信心辛抱とは、私それだと思う。ね。しかも、そりゃほんとのことを(精進?)、そこで、先ほどから私が申しますように、ね、御事柄として受けようと思うけれども、辛抱ができんことがあるて。
 神様の御働きとして合掌して受けようと思うけれども、ここじゃー一口言うとかにゃ、というようなこともあるって。うん。そこんところを、じーっともうそれこそ(  ?  )ごと言うなら、もうこげん気持ち(のいい?)ことはなか。
 けれども、それを、じっと「金光様、金光様」で辛抱させて頂く、そういう信心こそが、梅の花の信心。梅の花の信心には、必ず香が郁々として、香りが周囲に漂うような、花が咲く。
 もうその頃には、頼まんでも願わんでも、ウグイスが来て止まるようなものだ。それが、つぶらな実ともなって、梅干んともなったら、いつまで置いても悪くならんというお徳になる。ね。●

 信心辛抱の徳と。だから、そういう信心辛抱のけいこを本気でしよらなければです、日々、例えば、起きてくるその事態を、その時点で有り難いと受けて、神様にお礼が申し上げられないって。ね。
 でも、ね、おかげを頂いて、皆さんが、ね、それを、なるほど、神様は「すぐにおかげが頂ける」とおっしゃるが、もう(  ?  )でも、もう有り難うして有り難うしてと、必ず与えられるです、このことを皆さんが一心発起して帰られるなら。ね。
 それはもう、すぐに頂けるおかげである。そういうおかげは、ね、(根or実?)になってはいっていくおかげを頂きます。ね。

 信心倍増運動、ね、お広前の本部のご造営、そして、来年はここの5年祭。そこで、私としましては、本部ご造営に一生懸命。そこで皆さんは、ね、もう近い将来に着手されるであろう、ここのところに、また(  ?  )時期の、いわば、あーなんて言うんですかね、西脇殿とでも言うでしょうか、マルショウ会館とでも言うんでしょうか、そういう(ような?)建立される計画が、だんだん進められております。
 だから、今のままの信心では、だからできんのです、合楽の。だから、これが倍増になってこなければ。ね。(どうぞ?)もう一つ、信心倍増のね、いわゆる信心の願いを立てて、ただ今私が申してまいりましたようなことを、ね、信心はみやすいものだけれども、氏子から難しゅうすると、一生信心っちゃ難しかってで終わるようなことのないような信心。信心とは、ただ有り難うして、嬉しゅうして、というところになってまいります時に、それは、例えば、ね、吉井の隈井総代さんなんかは、ね、朝のご祈念、昼のご祈念、夜のご祈念、3回お参りになりました。
 もう次の(朝の時は?)、お供えばもう一遍持って来よなさった、(もう一度?)お参りになられます。それで家のことは、なん、ちゃーんとでけていきよる。ね。もうそれこそ、どー、それこそお金がないわけではない、子供さん(とこの?)出来が悪いことはない、体が弱いこともない。もうあれもこれもおかげの中にあってです、そうさせてもらわなければおられん、70何歳の老、ね、老婦人がです、ね、3里の道を毎日3遍ずつもお参りをしてくるっちゅう。ね。

 信心が楽しゅうして楽しゅうして、ああ、またこん暑かつに参らなんっちゅう(ごたる?)もんと違う。

※音がいきなり消失。末尾切れ…